右往左往・喜怒哀楽

ヒトとして生きる為の喜怒哀楽

成長

こんにちは。

 

この成長が気になります。

記憶の中にある子はしゃべらずとも笑顔でこちらに来てくれます。

 

今は少しはしゃべるのでしょうか。

もう立派に歩いているのでしょうか。

人生一度きりのもう戻せない時間は私にとって本当に大切なものとして今後も忘れられない時間として刻まれるのでしょうか。

 

こんなことなら親になんてならなきゃよかったと思ってしまう自分と必死に戦う毎日です。

誕生日

こんにちは。

 

子の誕生日を迎えました。

この世に生まれて一年。

その中で一緒に過ごせたのは時間にするとどのくらいなのか。

 

少しでも子の事を考えてしまうと今でもよちよちと出迎えてくれる様子が頭をよぎります。

もう二度と取り戻せない時間が過ぎていくばかり。

 

もう親の資格はないのでしょうね。

今何が出来て何が食べられて何が好きでどんな遊びをしているのか。

 

 

なるべく事が落ち着くまで考えないようにしようと思っています。

離れていく感覚

こんにちは。

 

別居が始まってから合鍵を使って勝手に家に入られ子供の物全て持っていかれました。

写真やビデオ、さらには保険証も送られてきました。

どんどん子から離れてしまっている感覚。

 

なんの為に頑張ってきたのかわからなくなってきています。

なにを楽しみに生きていくのが正解なのでしょうか。

キョウダイ

私自身、母子家庭で育ってきましたが、キョウダイの存在というのは本当に大きな大きな心の支えとなっていました。

 

それがこのままだと息子一人母子家庭で育つ事になってしまう。

親の苦労はもちろん、子も相当な苦労が待っていることを知らないのだと思う。

なにも分からない子供が大人の勝手な都合で生きる事自体難しくなる可能性だってあるのに。

子を育てるということ

おはようございます。

 

一歳になる息子に2か月程会っていません。

もう別人のようになっているのでしょう。

歩き始めているでしょう。

食べられる物も増えているでしょう。

私の知らない遊びもしているでしょう。

いろいろ出来るようになっているでしょう。

 

考えないようにしてはいましたが、明日誕生日です。

どうしようもない気持ちに押しつぶされそうです。

 

妻は私たちの家から息子に関係する物は全て持っていってしまいました。

会わせないという気持ちの表れでしょうか。

 

私から息子を奪った妻を許せないと思ってしまいます。

こんな程度で離婚する程の覚悟だったのでしょうか。

 

お恥ずかしながら最近産後クライシスという言葉を知りました。

色々原因はあるでしょうが、

そう信じて今は耐えるしかなさそうです。

結婚と離婚

こんにちは。

結婚ってなんなんでしょう。

男と女が世界で何億という人の中からなんの縁か分からないけれど惹かれあって恋人という形でお互いを縛りあって、そして結婚という戸籍上夫婦としてさらに縛られて。

 

その時は永遠にとか、どんな困難にもとか、一緒にいる事を知人の前とましてや信仰のない信じてもいない神に誓う訳です。

そして動物として子孫を残す為に子供を産む訳です。

 

なぜ離婚するという選択肢があるのか自分には理解できません。

もちろん暴力だとか不貞だとか日本に住んでいる以上法律を守らない場合は離婚になるでしょうが、嫌いだからとか、簡単な性格が合わないだとか、そんな覚悟で結婚したのか根本の部分から疑ってしまいます。

 

そんな私、只今離婚調停中です。

皆自分勝手な人ばかり。

人っていうのは汚い・醜い部分が浮き出る時は来るのですね。

もっと根本の部分を考えてほしい。

苛立ちと期待

こんにちは。

 

タイトルはそのままの関係性というか、

自分ではない人との関係を持つ際に相手に決して期待をしないという自分の考えです。

 

人に対してイライラしてしまうのは原因は明確で、『自分の思い通りにいかない』とか『自分だったらこうするのに』とか『こう言われるとは思わなかった』とか、成人までに揃えた自分の偏見のコレクション“当たり前”を基準に人に対して期待や見返りを求めているからだと思うわけです。

 

思った通りにならないのが普通で期待通りに言葉を返してくれたり行動してくれたりするのはもはや奇跡といえます。

 

これは例えパートナーや家族・友人であっても上司や部下であっても。

 

 

と考える私も偏見でしょうが、心の底からこう思うわけです。